あなたの中にもある?愛されるいい女vs都合のいい女
楊貴妃にみるいい女とは

「比翼の鳥」になった絶世の美女楊貴妃。

唐の玄宗皇帝の愛妃だった楊貴妃は、昔からある伝説によると、今から千二百年余り前、安禄山の変により馬嵬波で縊死したとされている楊貴妃が向津具半島の唐渡口に漂着後、まもなく亡くなり、その魂が紅色の鳥(比翼の鳥)となって、恋しい長安に飛び立って行ったそうです。
楊貴妃は元々玄宗の息子の妃の一人でしたが、玄宗に見初められたために、一時的に道士となり、その後、玄宗の後宮に入りました。

安禄山の反乱の際に、首都である長安から逃げ出して蜀へ向った楊貴妃たちだが、兵士達は乱の原因となった楊国忠を強く恨んでいたため、彼の部隊を包囲して殺害。
さらに兵士達は、玄宗に対して楊貴妃を殺害することを要求したため、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死(首吊り)させたのでした。

幼いころに両親を失い、叔父の楊玄キョウの家で育てられたという説や、
生まれながら、玉環を持っていたのでその名がつけられたというものや、
涙や汗が紅かったという伝説があります。

また、広西省の庶民の出身であり、生まれた時に室内に芳香が充満し、あまりに美しかったので楊玄淡に売られたという俗説もあります。

その美しさに惹かれた玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたので、傾国の美女と呼ばれています。

ココまで来ると、美しさは罪ですね。